京都10日目。

Coooooo2006-09-09

久々に自転車で散策。
今日は湿度が高い上に太陽ギラギラ。


太陽がてっぺんに上りきる前に、南を走る。


まず、部屋の近くの旧二条駅
現在地から移築され、今は蒸気機関車博物館。
和風駅舎はなかなか見もので、内観も気になったけど、
どうしても蒸気機関車に興味を持てず、スルー。
写真をパチパチ撮って、線路沿いをぐいぐい上る。


角屋はなんと休館中。
残念。。。
入り組んだ路地にそれはあって、
でも、独特の雰囲気を放っていた。
ワタシ、ソンジョソコラノタテモノジャナイワヨ。
多くの賢人が出入りしていたということか、
美しい格子が並んでいるけど、実はがっちりとした構え。


七条通に戻り、西本願寺with龍谷大学
京都の大学は、なんだか立派なものが多い。
ウラヤマシイ。
肝心の本願寺はクレーンが占拠。
門だけ拝んでそうそうに引き返す。


東本願寺
も、改修中。
一応内部見学。
うわうわすごいすごい。
内部に骨組みだけの模型があって、組物の様子が良く分かる。
特に本殿の煌びやかな様は圧巻。
手を合わせてから、口をあけて見渡す。
が、時間もあまりないので、次へ。


三十三間堂
杉本博司のアレのイメージで、ちょっとビビリ気味。
でも、入るとそんな心はどこへやら。
障子を通した柔らかい光が、観音様と仏様を照らしている。
なんとなく見てるだけだと分からないけれど、
観音様は、1体1体お顔や手のしぐさ、衣の揺れ方が異なる。
1001体の観音様は、怖いんじゃなくて、優しかった。


時間がちょっと余る。
京都駅へ。
関西電力(旧京都電燈本社)。
武田五一作なわけで、近代建築なわけで。
しかし、周りのビルとすごい車の流れでゆっくり見れず。
きっと、武田五一と言われたから、価値が分かったけど、
知らなかったら取り残されたただの古いビル。
いくつもの傑作建築は、こうやってなくなってきた。
コワイコワイ。


で、本日のメインイベント、シンポジウム。
http://machi.hitomachi-kyoto.jp/pubsys/view.rbx?cd=2523
最初は女流写真家さん。
京都のまちの路地(彼女は“ろうじ”と言っていた)や、
自分の住む町屋や人々の暮らしを撮りつづけている。
季節の飾りをして、季節の生活をする。
それが印象的だった。
高気密高断熱の家では、きっとこんなことはない。


2人目は、奈良のNPOの方。
都市化する京都と対照的に、歴史性の香る町並みを残す奈良。
町屋は5感を使って味わうべきだと訴えていた。
一度訪れて終りではなく、更に奈良町を知りたい、
という思いを掻き立てる仕組み作りを模索しているという。
孤でなく、集まる。
まちづくりにも大事な事。


最後は主催者グループの方。
京町屋まちづくりファンドについての説明。
町並みを残すには、まず単体である町屋の保存から。
重文と違い、変化しながらの保存+活用という難しさ。
京都の町を散策していても思った事だけど、
町屋の跡らしき細長敷地がフェンスで囲われているのが目に付く。
バブル期にはいわゆる地上げ屋がたくさんの町屋を奪っていったと言う。
その維持の難しさ、気候に左右される生活環境、
住人の高齢化、相続問題等々で、手放す人も多い。
ファンドの資金も、行政は歴史的町並みの青写真を提示するだけで、
結局最初に名乗りをあげた東京の投資家が、その半分以上出資した経緯。
行政の無関心さは、ブレーキのない車のような気がする。
実際に動き出したプロジェクトは、歴史も浅く、まだ少ない。
いずれは空き町屋を買い取って仲介したり、賃貸借の支援もしたいと、
まだまだたくさんの課題があるようだった。


休憩を挟んで、パネルディスカッション。
ピンクのジャケット着た、おもしろ外国人登場。
彼の住む町屋は、町屋だけどファンキー。
賑やかさと、明るさと、静寂と。
坪庭にスライド屋根をつけたりと、
外から来た人だからこそ出来るユニーク。
で、彼の感じる現在の京町屋に対する思いとは?
博物館にしてしまうのではなく、暮らしてこそ価値がある。
150年も維持修復を繰り返して住み続けて来た町屋。
現代の高機能住宅には成し得ない。
しかし、現代技術は要所要所に取り入れ、快適性も求める。
この前、とある話で、第三者が残していきたいと思う文化圏にある人が、
必ずしも現況に満足することはなく、近代化を望んで当然って意見になった。
京都に住んでいる全員に、歴史に取り残された生活を強要するのはエゴ。
けれど、文化的価値を大切にしている人の取り組みは支援するべき。
それを線引きするべきなのか、混在するべきなのかは難しい問題。


それと、一番が地域のつながり。
これまで、隣人を家内にいれることを嫌った京都人。
その名残がばったり将棋であり、家と通りとの中間領域。
それが町屋ブームで少しずつ門戸を開くようになり、
住む自分だけでなく、周囲の人に見られ、愛されることを知る。
後、町屋と道の関係性も大切。
のぼりやネオンや看板の乱立。
「京都は品がなくなった」と、去っていった人もいたと言う。
これも京都で感じてたことだけど、狭い通りもびゅんびゅん車が通る。
京都は近代化を急ぎすぎ、全ての道が舗装され、自動車優先になった。
かつては店先にも商品を並べていたり、人々が話に花を咲かせたり。
なんだか下北沢の話と重なった。


終わると、もう夕日の時間。
これから観光も難しいので帰宅。
充実した日。